2009年12月23日
伊達公子 現役引退の余波
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クルム伊達公子選手が引退した1996年。
当時の女子テニスは盛り上がっていました。
1995年には8人の日本人選手が本戦出場を果たしました。
伊達さんの引退後、テニスを引っ張ったのは杉山愛さん。
しかし、その他の女子選手は伸び悩んできました。
現在の低迷状況も変わっていません。
いかに伊達さんが残した功績が大きかったか、ということです。
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2009年12月22日
伊達公子 現役引退
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伊達公子さんが一度目の現役引退を決めたのは、1996年9月24日のことでした。
前々から噂されていました。
伊達公子さんの大ファンの私は、日本のテニスはつまらなくなる。
そんな予感がしていまた。
現役引退を宣言したのは、WTAツアー年間最終戦の「チェイス選手権」2回戦です。
当時16歳のマルチナ・ヒンギスに1-6、2-6で敗れたのが現役最後の試合でした。
引退時の世界ランキングは8位。
精神的にも限界だったのでしょう。
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2009年12月17日
伊達公子 伝説の試合
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クルム伊達公子選手は、ウィンブルドン準決勝で、グラフと対決。
2日間にわたる試合で第1セットはグラフが6-3、第2セットを伊達が6-2。
翌日になったファイナルセットはグラフが6-3。
「もし」という言葉が使えるならば、雨天順延がもしなかったなら・・・
第2セットは伊達公子さんのショットのキレと勢いがおりました。
でもさすがグラフ。
絶対負けないので。
ウィンブルドンの伊達VSグラフは伝説の試合です。
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2009年12月16日
伊達公子 事件は起こった
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1996年4月27日、28日です。
東京・有明コロシアムで開催されたフェドカップでクルム伊達公子選手は、シュテフィ・グラフに勝ちました。
7-6、3-6、12-10の死闘でした。
ファイナルセットはシーソーゲームでどちらが勝ってもおかしくない試合。
団体戦の醍醐味を味わうができました。
当時、リアルタイムで試合を見てましたが、あれほどドキドキ、興奮した試合はなかなかありません。
もう一度DVDで見たい試合です。
松岡修造さんの旗を持った応援も印象深いですね。
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2009年12月15日
伊達公子 世界最高峰のツアー
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クルム伊達公子選手は、世界ランキング16位以内の選手のみに出場資格が与えられる「バージニア・スリムズ選手権」に出場したことがあります。
世界ランク4位になった1994年のことです。
出場することがどれだけすごいことか。
そして、準決勝まで進出しています。
伊達公子さんを調べれば調べるほど、実績のすばらしさがわかります。
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2009年12月14日
伊達公子 世界ランクベスト4
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1995年はクルム伊達公子さんにとって最高の年だったのではないでしょうか?
全仏オープンでは日本人初のベスト4進出を果たしました。
準決勝では惜しくもアランチャ・サンチェスに5-7、3-6で敗れましましたが快挙です。
この試合はテレビ東京系の地上波でゴールデンタイムの午後9時から放映されたことからも国民の注目度がわかります。
そして、11月には自己最高の世界ランキング4位を記録する。
シングルスで世界4位を取れる日本人選手は、当分出てこないでしょう。
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2009年12月13日
伊達公子 東レ優勝
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クルム伊達公子選手は、1995年2月には東レ・パン・パシフィック・テニスで優勝しました。
まだ覚えています!
決勝戦ではリンゼイ・ダベンポートに圧勝しました。
ダベンポートも強かったですね。
その後のリプトン国際選手権では準優勝をしました。
決勝ではグラフに完敗しましたが、準決勝ではガブリエラ・サバティーニを1-6、1-5から大逆転して、1-6、7-6、7-6でまくりました。
全盛期の伊達公子さんは本当に強かった!
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2009年12月11日
伊達公子 ベスト10
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クルム伊達公子選手は、1994年1月にオーストラリアの「ニュー・サウスウェールズ・オープン」で初優勝しました。
快挙でしたね。
日本人女子テニス選手としては、史上初の世界トップ10入りです。
その年の全豪オープンでは初の4大大会ベスト4になりました。
準決勝でグラフに 3-6、3-6で乾杯しましたが、
すばらしい記録です。
当時の私は当たり前だと思っていたのですが、
今考えると伊達公子選手は、本当にすごいの一言に尽きます。
森田あゆみちゃんには、がんばって結果を出して欲しいものです。
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クルム伊達公子選手は、1994年1月にオーストラリアの「ニュー・サウスウェールズ・オープン」で初優勝しました。
快挙でしたね。
日本人女子テニス選手としては、史上初の世界トップ10入りです。
その年の全豪オープンでは初の4大大会ベスト4になりました。
準決勝でグラフに 3-6、3-6で乾杯しましたが、
すばらしい記録です。
当時の私は当たり前だと思っていたのですが、
今考えると伊達公子選手は、本当にすごいの一言に尽きます。
森田あゆみちゃんには、がんばって結果を出して欲しいものです。
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2009年12月10日
伊達公子 上位ランカー撃破
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クルム伊達公子選手のことを調べていると、改めてすごさがわかりますね。
上位ランカーを次々と倒しています。
現在の日本女子テニスが盛り上がっていないことを考えると、
伊達公子さんの残した戦績や功績に感服してしまいます。
たとえば、1993年には全米オープンで初めて4大大会ベスト8に進出しました。
4回戦では、ヤナ・ノボトナに勝っています。
ヤナ・ノボトナは、当年度のウィンブルドンで準優勝者している実力者です。
ボレーが上手で好きな選手でした。
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2009年12月09日
伊達公子 全日本優勝
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クルム伊達公子選手は、「世界」というイメージが強いです。
ステップとして全日本も優勝しています。
しかし、意外なことに伊達さんが全日本に優勝したのは、
1991年のこと。
プロデビューから数年経っています。
翌年1992年にも優勝し、全日本2連覇を果たしています。
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2009年12月08日
伊達公子 4大大会4回戦
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クルム伊達公子選手は、1990年に全豪オープンで4回戦進出しました。
第11シードのパム・シュライバーを3回戦で破りました。
シュライバー、懐かしいですね。
4回戦は残念ながら前年度準優勝者のヘレナ・スコバに敗退。
だんだん世界からも注目されるようになってきます。
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2009年12月07日
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2009年12月07日
伊達公子 プロデビュー
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クルム伊達公子選手がプロに転向したのは、1989年のことです。
ここからすばらしい活躍の第一歩を踏み出しました。
1989年、「サントリー・ジャパン・オープン」でWTAツアーにデビュー。
岡本久美子選手に敗退しましたが、準々決勝まで進出。
4大大会のデビューは全仏オープンすで。
予選3試合を勝ち上がって、本戦2回戦まで進出。
ウィンブルドンと全米オープンは、本戦出場を果たしています。
女子テニス国別対抗戦・フェデレーションカップの日本代表選手に初選出され、西ドイツ・チームとの2回戦でダブルス戦に起用されました。
この時のフェド杯を見に行きましたが、すっかり忘れています^^;
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2009年12月07日
伊達公子 幼少時
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クルム伊達公子さんがテニスを始めたのは6歳のときです。【ヤフオク冊子教材 0円配送プレゼントキャンペーン中!】
京都市北区にあるテニスクラブ「セブンスリー」でテニスを始めて、
滋賀県大津市に転居した後は、京都市山科区の「四ノ宮テニスクラブ」でレッスンを積みました。
「四ノ宮テニスクラブ」は、竹内映二さんの父竹内穣治氏がオーナーを務めていました。
竹内さんから指導を受けたことは成功の第1ステージをクリアしたことになるのでしょう。
恵まれた環境は、自分で探していくものですね。
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